こんにちは、中流投太郎です。
今回は、少し毒のあるタイトルになってしまったが、皆さんの職場にもこのようなタイプの上司はいないだろうか?
「俺の考えがすべて。それ以外は認めない」
いわゆる“オレしか勝たんマン”のような存在である。
実際に筆者の職場にもいて、正直に言ってしまえば、業務の推進を妨げる存在としか言いようがない。今日は、そんな上司について考察してみたい。
「俺ルール」でしか動かない上司という存在
筆者は現在、調達部門に所属している。業務内容としては、案件ごとの見積取得、業者選定、発注・契約、そして上司への決裁申請などが中心である。
当然、決裁を得るためには価格の根拠や選定理由を資料化し、ロジックを構築する必要がある。だが、そういった合理性がきちんと示されているにもかかわらず、**「俺の感覚に合わない」**という理由だけで突き返される場面があるのだ。
「この見せ方は好きじゃない」
「この表現では、俺は納得できない」
「この業者、なんか気に食わない」
それはもはや、業務判断というより私的感覚の押しつけなのではないだろうか。
「細部のこだわり」は本当に必要なのか?
このタイプの上司がよく口を出してくるのは、資料のロジックではなく**デザインや書き方の“好み”**である。
・グラフの色が気に入らない
・表の罫線が濃い
・フォントが好きじゃない
・タイトルの言い回しが違う
果たして、それらが意思決定において本質的な部分なのだろうか?
もちろん、役員などへの説明資料として「伝わりやすさ」を意識するのは理解できる。だが、過度なこだわりがチームの時間やエネルギーを奪っていることに、当の本人は気づいていないのではないか。
「話しかけづらい上司」はチームの損失ではないか?
このような上司がいると、部下側としては非常に話しかけづらくなる。
ちょっとした報告や相談でさえ、「どう受け取られるだろう」と気を使わなければならない。
「どうせ否定される」
「結局、上司のやり方に持っていかれる」
そんな気持ちが積み重なることで、チーム全体の発言量が減り、提案がなくなるという現象が起こってしまうのではないだろうか。
誘導型の“答えありき”もまた厄介だ
表面的には「どう思う?」と問いかけておきながら、実際には自分の答えに誘導していくタイプも存在する。
「それも一理あるけど、俺ならこうかな」
「なるほど。でも、こういう見せ方のほうが良くない?」
こういった言い回しで、結局上司の答えに着地させるように仕向けられると、部下は「自分で考える意味がない」と感じてしまう。
それは果たして「育成」と言えるのだろうか?
むしろ、発想力や意欲を削いでしまう行為ではないかと思う。
初心者には「型」が必要でも、経験者には「裁量」が必要ではないか
もちろん、新人や若手に対して一定の“型”を教えるのは必要である。右も左も分からないうちは、「まずはこのやり方でやってごらん」という指導は有効だ。
だが、ある程度の経験を積んだ人材に対してまで、100%上司の方法に従わせようとするのは非効率ではないか。
さらに言えば、このような上司は他部署からも「あの人は扱いづらい」「何かとこだわって話が進まない」と敬遠されがちである。
本人にその自覚がないことこそ、根深い問題なのではないか。
筆者自身も悩みながら対応している
「どうすればいいのか」と問われれば、正直、決定的な対策はない。
・相手の好みを先回りして読む
・ロジックをさらに明確にする
・指摘されそうな点を潰してから持っていく
こういった対応をしながら、筆者も日々仕事を進めてはいるが、非常に疲れるというのが本音だ。
仕事を真剣に考えることは当然大切だが、たまには力を抜いて淡々と業務をこなしたい日もある。その自由すら奪われてしまう空気に、息苦しさを感じている人も多いのではないだろうか。
だからこそ、筆者は「反面教師」にしたい
このような上司を目の当たりにして、筆者は強く思う。
**「自分は絶対にこうはなりたくない」**と。
将来、自身がマネジメントを任される立場になった時には、
・最低限のルールだけ明確に伝え
・あとは任せる
・最終的な責任は自分が取る
そういった任せて支える上司でありたいと考えている。
部下にとって「話しやすい」「意見を出しやすい」上司であることが、組織の生産性を高め、メンバーの成長につながるのではないだろうか。
最後に
「オレが絶対正しい」と思い込む上司は、自己満足にすぎない。
本来、上司の役割とは、部下が考え・行動し・失敗しても、それを受け止められる器を持つことではないだろうか。
自分のやり方を押しつけるのではなく、最低限の指針だけ示して、あとは任せて信じる。
それができる上司こそ、今の時代に求められているのではないかと筆者は考えている。
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